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花の研究室
2021.06.02花の研究室
ローズの日バラの世界史②ベルサイユにはどんなばらが?
6月2日はローズの日!
前回に引き続き、バラの世界史をご案内します。
時代は優美な中世~近世ヨーロッパへ。
「ベルサイユのばら」の時代には、実際どんなバラが咲いていたのでしょう?
今回のもくじ
1 バラの暗黒時代と復活~ローマ帝国の衰退
—ヨーロッパの暗黒時代が始まる
—ルネサンスとバラの再生
2 赤と白の30年戦争:バラ戦争(1455-1487)
—赤バラと白バラの闘いはどこへ向かったのか
—おまけ:イギリス王室のバラ
3 「ベルサイユのばら」はどんなバラ?:16~17世紀フランス
—ベルサイユのばらはオールドローズ
—アントワネットが愛した花
バラの暗黒時代と復活~ローマ帝国の衰退
ヨーロッパの暗黒時代が始まる
ローマ帝国の衰退にともない、ヨーロッパはバラという文化もろとも暗黒時代を迎えます。
キリスト教の禁欲的な道徳観のもとにバラは度の過ぎた贅沢扱いをされ、一般の栽培は禁止。神にささげるバラだけが作られるようになります。
ローマ人の贅沢ぶりを想えば目の敵にされるのもさもありなんという感じですが、バラにとっては日陰の時代となりました。いやはや、この時代に生まれなくて良かったです。
やがて赤はキリストの流す血、白はマリアの純潔さ、とキリスト教に結び付けられ、バラは宗教画にも多く残る神秘的なモチーフとなります。ポインセチアの歴史に似たものを感じますね。
バラの花冠が由来の「ロザリオ」や教会にある美しい円形の窓「バラ窓」など、バラとキリスト教の関わりは言葉や建築として残っています。
ルネサンスとバラの再生
その後聖地エルサレムの奪還を目指した十字軍遠征(1100〜1200年代)が始まると、ヨーロッパと小アジア間での人々の移動により、東方の原種バラがさらにヨーロッパへ広まることになりました。
このうちロサ・ガリカはパレスチナからフランスへと渡り、「薬剤師のバラ」、プロバンスローズとして今でも盛んに生産されています。
1300年頃、ヨーロッパ以外の国から影響を受けて
「神様にすがるだけじゃなく、もっと人間中心の、ギリシア・ローマ時代のような生き方をしてもいいのでは…!?」ということで開花したのがルネサンス文化です。
そうです。ルネッサーンス!です。髭男爵のお二人の出で立ちにはバラが良く似合いますよね。
この時代になると、再び一般人もバラを楽しめるようになりました。
また、「ビーナスの誕生」や「春」がボッティチェリによって描かれたのはこのころ。
「春」では花の女神フローラがバラを播いていますし、腰にバラを巻き付けているようにも見えます。
花びらが多く美しいロサ・センティフォリア、香り高いロサ・ダマスセナ=ダマスクローズも十字軍の遠征によって中近東からヨーロッパへともたらされています。
ヨーロッパは十字軍が持ち帰った中近東の香料文化をそのまま取り入れましたが、乳香や没薬などの香料は自国での生産が難しく、輸入に頼るしかありませんでした。
バラも香料の一つですが、ヨーロッパの気候にも合い、生産しやすい原料です。バラの香油やローズウォーターは日常的に使うものだったので、輸入するよりも自前で作る方が都合がいい。
そのために、フランスのプロバンスなどヨーロッパでも香料用バラの栽培が盛んになったものと思われます。
アレクサンダー大王の東方遠征、十字軍遠征など東西の文化交流の機会はたびたび訪れますが、アラビアからヨーロッパへ伝わり、ブームとなったものの一つが錬金術です。
錬金術は古代エジプトの時代から始まり、13世紀以降のヨーロッパで競って研究がされました。錬金術は金こそ生み出しませんでしたが、その過程で10世紀には水蒸気蒸留法によるアロマオイルの抽出方法が確立します。
この技術がヨーロッパへと広まり、アロマテラピーの発展へと繋がっていくのです。
私たちが今でも楽しんでいるバラのアロマオイルや蒸留の副産物であるローズウォーターは、錬金術の賜物だったのかもしれません。
赤と白の30年戦争:バラ戦争(1455-1487)
赤バラと白バラの闘いはどこへ向かったのか
イングランドで愛された園芸書、「植物誌」を書いたジョン・ジェラードはバラについて
「わがイングランド王家の誉れであり、紋章であるがゆえに、花の王者としての位置を占める価値がある」と語ります。
最初に自らの紋章としてバラを使ったのは、ヘンリー3世の王妃、エリアノル。彼女はバラの産地プロヴァンス出身で、白バラを紋章としました。
のちに赤バラを紋章にしたとされる王族も現れますが、王位継承をめぐって白バラのヨーク家と赤バラのランカスター家は対立し、両家の派閥を巻き込んでバラ戦争と呼ばれる凄惨な内戦を引き起こします。このあたり、世界史で習ったよ~という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この争いは30年に渡り続きましたが、ランカスター家のヘンリー・テューダーがヘンリー7世として即位、ヨーク家のエリザベスと結婚することで両家は和解し、終結します。
そしてヘンリー7世が開いたテューダー朝は、対立した両家の紋章である赤バラと白バラを組み合わせた「テューダーローズ」を新たな紋章としたということです。まるでロミオとジュリエットのハッピーエンド版のようなお話ですよね。
当時は赤バラと白バラを大きく掲げた対決という訳ではなく、これらのロマンチックな設定は後世に後付けされたところが大きいようです。特にシェイクスピアの戯曲『ヘンリー6世』では貴族たちが庭で赤と白のバラを摘み取ってそれぞれの紋章にする場面があり、このイメージがそのまま史実のように語り継がれているのかもしれません。
なんにせよバラと王家の結びつきはイギリスの記憶として強く残ったのですね。このようないきさつで、赤と白の混じったバラは「王家統一の象徴であり、宮廷の平和をあらわすもの」とされ、バラはイングランドの国花になりました。
戦後、両家の和解を表すかのような赤と白が入り混じったバラができた!というめでたいエピソードが残っています。同じバラなのかは定かではありませんが、“ヨークアンドランカスター”と名付けられたバラは今でも栽培されており、咲いた花を見ることができますよ。
おまけ:イギリス王室のバラ
花の王者であるバラは王室に捧げられることも多い花です。
上の写真は現エリザベス女王に捧げられた“クイーン・エリザベス”という園芸品種。イギリス王室非公認ではありますが「バラの殿堂入り」に登録された代表的な品種で、育てやすく立派な花をつけるので日本の庭でもよく栽培されています。
暑さにも病気にも負けずに冬までひらひらした花を咲かせてくれるので、著者としても初心者にお勧めしたい品種ですね。
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こちらはウィリアム王子とキャサリン妃の結婚記念として発表された“ウィリアム・アンド・キャサリン”。昨今のブームを踏んでか、花びらが多めでふんわりとした「イングリッシュローズ」らしい花型ですね。
他にも “ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ”、日本の皇室へ贈られた“プリンセス・アイコ”など高貴な名前をもつバラは数多あり、岐阜県の花フェスタ記念公園内『ロイヤルガーデン』でまとめて見ることができますよ。
(花フェスタ記念公園では「ローズの日」に合わせたキャンペーンを開催されています→花フェスタ記念公園HPはこちら)
「ベルサイユのばら」はどんなバラ?:16~17世紀ヨーロッパ
ベルサイユの「ばら」はオールドローズ
17世紀頃までのイギリスにあるバラは、ロサ・アルバ系、ロサ・ガリカ系、ダマスク系、ケンティフォリア系の4つ、またはムスク系を入れた5つ。これらはすべて現代では「オールドローズ」と呼ばれているもので、秋にも咲く“オータム・ダマスク”を除いて全て春だけに咲く一季咲きのバラです。
また、これらのオールドローズは目が覚めるような赤色の色素を持たないため、花色は白~濃いピンクが中心でした。
一季咲きのオールドローズしかないこの状態は、イギリスに四季咲き性をもつ中国バラが渡来する19世紀初頭まで続きます。
中国のバラからもたらされた
〇四季咲き性(春と秋の2回咲く)
〇鮮やかな赤色
〇剣弁高芯咲き
これらの形質をもつバラは、まだヨーロッパには無かったということですね。
「ベルサイユのばら」の舞台はマリーアントワネットが生きた時代。1789年の革命が勃発するまでのフランスですから、ベルばらと聞いて私たちがイメージするようなこんな感じの(上図)バラも本当のところはまだ存在しなかったのです。真っ赤なバラ、整った剣弁のバラも作品のイメージに合っていて私は好きですけれどね。
近年になってフランスのメイアン社が日本の漫画とタイアップで作出した「ベルサイユのばら」というバラは、鮮やかな赤に剣弁高芯のザ・現代バラの花姿をしています。
(「ベルサイユのばら」シリーズは宝塚大劇場横の「花の道」にも植えられています。)
アントワネットが愛した花
日本でも有名なマリーアントワネットは花を愛し、中でもヤグルマギク、香りの良いスミレ、そしてバラを特に愛していました。肖像画で彼女が手に持っているのもケンティフォリア系っぽいバラですね。絵を見ると、この時代のバラ=オールドローズ だったことがよく分かります。
オーストリアの王女だったアントワネットは、14歳でフランスのルイ皇太子(後のルイ16世)と政略結婚。
19歳のとき、ルイから「花を愛する君に、この花束を贈る」というメッセージとともに離宮、プチ・トリアノンを含む土地を贈られました。
このプチ・トリアノンは彼女が王宮の堅苦しい公務やしきたりから離れて仲間と楽しい一時を過ごすための隠れ家となり、夫でさえアントワネットの許可なしには立ち入ることができなかったといいます。
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ジャンジャック・ルソーなどの思想家が唱えていた「自然に回帰しよう」という思想に影響を受けたアントワネットは、プチ・トリアノンの庭園を自然な景色を楽しめるイギリス式で作り、さらに田舎風景を模した「王妃の村里」を作らせました。
水車や畑のある村里で憧れの「農民の暮らし」を楽しんだアントワネット。この一周回った贅沢はのちに民衆の反感を買うことになってしまいますが、心やすらぐ自然豊かな庭は確かに彼女の心を癒したことでしょう。
オールドローズではありませんが、この王妃のオアシスにちなんで名付けられた“プチ・トリアノン”という柔らかい花型・色のバラがあります。
作り物のように整ったモダンローズではなく、こんな雰囲気の自然で優しいオールドローズだったからこそ、マリー・アントワネットは愛していたのかもしれません。
(バラ “プチ・トリアノン”)
次回:バラの革命~現代
フランス革命によってマリーアントワネットが断頭台の露と消えたのち、バラという種にも大革命がやってきます。次回はアントワネットが見たバラから、私たちがお花屋さんで手に取るバラへの繋がりを辿っていきますよ。
ローズの日は本日ですが、ROSE WEEKはまだ終わっていません!今週中の更新となるかと思います。次回もお楽しみに。
営業企画部