News新着情報

花の研究室

2021.06.05花の研究室

ローズの日バラの世界史③新しいバラの歴史

6月2日はローズの日!
…は終わりましたが、今週は「ローズウィーク」。まだバラ推しは終わりませんよ。
今回でバラの世界史、最終回です。

 今回のもくじ
1 バラの革命~アジアとヨーロッパの出会い
 — 中国バラの到来
 — 「バラの母」ジョセフィーヌの功績
 — おまけ:過去と現代をつなぐ「バラ図譜」
2 モダンローズの登場~“ラ・フランス”誕生(1867)
 — 「オールドローズ」と「モダンローズ」の境目
 — バレンタインの赤バラと“バラの革命”
3 あとがき:バラの歴史は続く

バラの革命~アジアとヨーロッパの出会い

中国バラの到来

前回・前々回の記事でご紹介したように、アレクサンダー大王の東方遠征、十字軍の遠征などオリエントの国々からヨーロッパへバラが移動する機会は多々ありました。
1873年頃には
ペルシアからオーストリア・オランダへ、黄バラの祖ロサ・フェチダ・ペルシアナが伝わっています。(この頃まで、ヨーロッパには黄色のバラもありません。)

 

同様に、はたまたそれ以上にアジアの植物が盛んにヨーロッパへと持ち込まれたのが大航海時代。
ヨーロッパの人々は危険を冒してでも茶や胡椒といった有用な植物、権力者が喜ぶ珍しい植物を求めて東洋を目指しました。「プラントハンター」と呼ばれる人たちですね。
そんな中、ヨーロッパのバラはついに歴史的な出会いを果たし、バラという花自体に革命が起きることになります。

(カール・フォン・リンネ: wikipediaより)

最初に中国バラの標本をヨーロッパへと持ち帰ったのは、スーパー植物学者カール・フォン・リンネの弟子のピーター・オズベック(1752年)。リンネ先生はこのバラを“ロサ・インディカ”と命名しました。
この名前だと「インドのバラ」という意味になってしまいますが、これはバラがインドを経由して運ばれたために、インドと中国を混同してしまったから。

18世紀の末頃になってヨーロッパに現れる庚申(こうしん)バラはチャイナローズ、ベンガルローズと呼ばれました。ベンガルというのはインド、東インド会社がある州のことで、これまたインドのバラと勘違いされて命名されたのです。
庚申バラはそれまでのヨーロッパのバラには無かった、鮮やかな赤色の色素を持っていました。

WHY「庚申」?(クリックで開きます)
暦の十干「庚(かのえ)」と十二支の「申(さる)」の組合せの日のことで、同じ組合せは60日に1回、年に6回ある。60日ごとに花が咲くことから「庚申バラ」と名がついた。

このように中国からヨーロッパへ持ち込まれ、多くの新しい品種の親となった4つのバラがあります。

①1792年伝来 スレイターズ・クリムゾン・チャイナ 

「スレイターの深紅の中国バラ」

鮮やかな深紅の花色は、白~濃いピンクや紫のバラしか目にしたことのないヨーロッパの人々を驚かせました。

②1793年伝来 パーソンズ・ピンク・チャイナ 

「パーソンズのピンク色の中国バラ」

①のスレイターズ・クリムゾン・チャイナよりも育てやすく増やしやすかったため、すっかりイギリス中に普及しました。「ピンクのバラ」「中国バラ」などと呼ばれる定番品種として、のちにノワゼット系やブルボン系のオールドローズを生み出します。
ヨーロッパのバラには無く中国バラにあった性質の一つが、四季咲き性。他のバラが散ってしまった後も繰り返し花を咲かせるこの品種は、当時の人々にとっては画期的だったことでしょう。

③1809年伝来 ヒュームズ・ティー・センテッド・チャイナ

「ヒュームのお茶の香りの中国バラ」

ヨーロッパに自生しない「茶」も17世紀に中国や日本から持ち込まれた植物であったため、当時のイギリス人にとっては「お茶といえば中国、中国といえばお茶」でした。そのイメージが先行してか、中国バラのすっきりした香りは「ティーの香り」と呼ばれ、中国バラの大きな特徴の一つになります。

もう一つ絵からは分かりにくいですが、整った剣弁高芯の咲き方もこの花の特徴であり、中国バラがはじめてもたらした形質でした。
ヨーロッパへと渡ったこの品種から、剣弁高芯先でお茶の香りの「ティー系統」のオールドローズが生み出されます。現代の切り花バラは「ハイブリットティー系統」がほとんどですが、名前からも分かるようにティー系統の交配種なので、このヒュームズ・ブラッシュやその仲間の中国バラの血を引いていることになりますね。

1824年伝来 パークス・イエロー・ティー・センテッド・チャイナ 

「パークスの黄色い茶の香りの中国バラ」

バラの花色のバリエーションが少ないヨーロッパにいよいよ持ち込まれたのが、黄色のバラでした。実際の「パークス・イエロー~」はこの絵より淡いクリーム色といったところですが、それでも黄色やパステルカラーの新しい花色のバラを多く生み出す親品種となりました。

 「四季咲き性」「お茶の香り(ティー)」「鮮やかな赤色」「黄色」 これらの性質をもった中国のバラがヨーロッパの人々を驚かせ、ヨーロッパのバラに革命を起こしたのです。

「バラの母」ジョセフィーヌの功績

バラについて語るうえで欠かせないのが、フランス皇帝:ナポレオンの妻であったジョセフィーヌです。本名の一部から結婚前はローズと呼ばれていた彼女は、大変熱心なバラの蒐集家でした。

彼女のバラへの情熱は並々ならぬものだったようで、当時激しくしのぎを削っていたイギリスとさえ、ジョセフィーヌにバラを届けるよう敵軍同士で特別の取り決めがされていたといいます。
ちょうどこれまでお話しした中国バラなど、目新しい性質を持った世界中の品種が手に入り始めた頃でしたから、収集もさぞかしはかどったでしょうね。
ジョセフィーヌはコレクションを一流の園芸家や植物学者に監修させ、改良を進めました。

そして、ようやく人工交配によるバラの品種改良が始まったのもこの時代でした。
世界最高峰のバラコレクションと最先端の人工交配の技術は、新しい系統のバラの誕生として結晶することになります。

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

バラの家(@baranoie.rosa_orientis)がシェアした投稿

こうして集めたバラを植物画家に描かせ、記録に残したこともジョセフィーヌの大きな功績でした。彼女の没後に出版された植物画家ルドゥーテの「バラ図譜」は、当時のバラ園の様子を現代に伝える重要な資料の一つです。

ヨーロッパに元々あったバラだけでなく、中国バラや改良された新しい種、日本やアメリカの野生種など世界中のバラが集められていたジョセフィーヌのバラ園は、まさにバラの革命の最前線。
主を無くしたバラ園のコレクションは荒れ果ててしまいましたが、画家による精密な記録のおかげで現代の私たちも当時のヨーロッパにどんなバラがあり、どんな品種が生まれていたのかを想像することができるのです。

「バラ図譜」に描かれるバラは、中国バラの血が伝わってからさらに改良を進めた系統の品種が少なく、現代に伝わるオールドローズの基礎が築かれたばかりの時期だったということが分ります。

おまけ:過去と現代をつなぐ「バラ図譜」

(“ロサ・ケンティフォリア”)

上のイラストのような絵柄、あなたも一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか?これは植物画家ルドゥーテが描いたもので、先に登場した4つの中国バラの絵も、実は彼の作品です。
処刑されてしまったマリーアントワネットに仕えながら革命を生き延び、次のトップの元で活躍したルドゥーテ。植物画を芸術の域まで高めた彼の絵はとても精密で、まるで本当にそこに咲いているかのようです。

「バラ図譜」に残っているバラは、上の“ロサ・ケンティフォリア”をはじめ、現代でも生きた姿を見られる品種が多いです。 ナポレオンやジョセフィ—ヌが見たのと同じ花を見ているのだ… と思うと、なんだかロマンチックですよね。

モダンローズの登場~“ラ・フランス”誕生(1867)

「オールドローズ」と「モダンローズ」の境目

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ai(@chi555ai)がシェアした投稿

ここまで登場した「オールドローズ」に対し、私たちがお花屋さんで手に取るバラのほとんどは「モダンローズ」という種類です。何をもってオールド、何をもってモダンなのでしょうか?
この二つの違いは、ヨーロッパへ中国のバラがやってきた経緯を振り返るとよくわかります。

まず、モダンローズ第1号は1867年にフランスのドリュ者が作出した“ラ・フランス”という品種。この品種を第一号として、これ以降に作出されたバラをモダンローズ、これ以前に作出されたバラやオールドローズ同士の交配種をオールドローズと呼んでいます。
“ラ・フランス”がなぜモダンローズ第1号なのかというと、中国バラとヨーロッパのバラの性質を両方併せ持った「ハイブリッドティー」という系統の第1号でもあるからです。

お話してきたように、中国からやってきたバラとヨーロッパのバラの出会いはバラにとって革命的な出来事でした。
そのため、中国バラの性質を持った新しいバラ「ハイブリットティー」ができたぞ!というタイミングでバラの歴史を分け、“ラ・フランス”より前はオールド、それ以降はモダン、としているのです。

現代の私たちがお花屋さんで見かける切り花バラのほとんどは、花もちがよく生産しやすいモダンローズ。オールドローズは香料の原料やガーデン用に生産されています。

バレンタインの赤バラと“バラの革命”

「世界で一番花を贈る日」バレンタインに贈る花といえば、真っ赤なスタンダードバラ。
ですが、バラの長い歴史を見ると
・剣弁高芯咲き ・真っ赤な花色 ・冬にも花を咲かせる四季咲き性
これらはすべて“バラの革命”以降に中国のバラからもたらされた性質なので、バレンタインに赤バラを贈りあえるようになったのは割と最近のことなのです。

加えて、バラの品種改良が西洋ほど盛んではないまま明治時代を迎えた日本では、こうした西洋のバラは大変高価なぜいたく品であり、手に入るのは皇族や貴族に限られていました。
また切り花として三越で販売されるようになったのが大正時代、庶民に洋花を贈りあう習慣が浸透したのは昭和になってから。

かつてのヨーロッパの人々、かつての日本人の憧れだった真っ赤なバラを手に取れる時代にいるのだなと思うと、バラのギフトの高級感も増す気がしますね。

おまけ:イングリッシュローズとは?

(“シャーロット・オースチン”)

最近よく聞くワードに「イングリッシュローズ」がありますね。これは、オールドローズやモダンローズと何が違うのでしょう?

イングリッシュローズとは、 イギリスの育種会社デビット・オースチン社が生み出した「モダンローズでありながら、オールドローズのような柔らかい花型をしたバラ」シリーズ のこと。イングリッシュガーデンブームに伴って、草花になじむ優しい花型、樹形が日本でも大変なブームになりました。
新しい系統ではなく、育種会社が作ったいちシリーズ名だと思っていただければいいかな、と思います。

一つ、イングリッシュローズに特有なのが「ミルラの香り」と呼ばれる独特な香り。ミルラはミイラに塗る保存用の薬のことですが、そういわれても正直ピンときませんよね。
真偽のほどは定かではありませんが、美白効果があるという説もあります。百聞は一見に如かず、機械があればぜひその香りを確かめてみてください。

あとがき:バラの歴史は続く

バラの世界史3部作、お楽しみいただけましたでしょうか。珍しく連載になりましたが、ご紹介したエピソードもバラの長い長い歴史の一部分でしかありません。

5000年前にはすでにバラと人類の絆があり、モダンローズの誕生は150年前。ついでに言えば黄色のスタンダードバラができたのは120年前ですし、日本で誰もがバラを手に取るようになってからせいぜい100年といったところです。
今や当たり前のようにお花屋さんに並ぶ色とりどりのバラの切り花ですが、これも最近のことなんだなあと思えてきませんか?

そして、まだ始まったばかりの切り花バラの世界史、日本史を作っていくのは紛れもない私たち。私も「ローズの日」の活動を通して、その一端を担えたことをとても嬉しく思います。

営業企画部

 

参考・引用文献

『宮廷画家ルドゥーテとバラの物語』中村美砂子 著
『薔薇のパルファム』蓬田 勝之 著
明治・大正・昭和期の着物に見られる薔薇模様 :日本国内における洋花の普及との関係,櫻木 英里子 2016,http://id.nii.ac.jp/1087/00003062/
薔薇の文化史(その三)—「東西の薔薇の出会い」,中尾真理2009