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2021.07.16展示
トルコ?キキョウ?ユーストマ??トルコ桔梗の本当の名前とは
植物の二つ名とプラントハンター
(学名の表記方法、二名法を確立したカール・フォン・リンネ先生 1707-1778)
「ユーストマ」と「リシアンサス」は別々の人物によって同じ花に付けられた学名でした。
このように、 同じ植物・動物等に対して違う学名がついてしまうこと を 「シノニム」 といいます。synonym、「同義である」という意味の英語です。
(使用例:リシアンサスとユーストマはシノニムである、リシアンサスはユーストマのシノニムである
和名の「トルコ桔梗」は学名ではないので、「トルコ桔梗はユーストマのシノニムである」とはいいません。)
一つの花を別々の人が命名した場合の他、すでに発見された種が勘違いで新種扱いになり、学名が付けれられてしまう場合もあります。今のようにインターネットが発達していない時代、世界のどこかで既に名前が付けられていても分からないことの方が多かったでしょう。
(プラントハンター、植物学者として活躍したロバート・フォーチュン 1812-1880)
加えて、プラントハンターと呼ばれる大航海時代以降のヨーロッパの人々はこぞってアジアや新大陸の目新しい植物を求めていたので、「やった、新種を見つけたぞ!」と沢山のシノニムが生まれてしまうのも致し方無いよねという感じがします。
シノニムが判明した場合は、基本的に先に付けられた名前を正式な学名とすることになっているので、トルコ桔梗の正式な名前(学名)はユーストマということになります。
とはいえ「リシアンサス」も「トルコ桔梗」もすでに浸透してしまっている名前ですし、どの名前で呼んでも問題はないでしょう。
日本とトルコ桔梗
切り花開発の先駆けは日本
(JAグリーン長野展示より“ボンボヤージュスイートピンク”)
1930年代にようやく日本にも渡来したトルコ桔梗。
玉川温室村で栽培されていた、坂田商会(後のサカタのタネ)により購入されたという記録こそあれ、栽培の難しさと花の性質により切り花として盛んに栽培されてはいませんでした。
しかし戦後、1963年には福花園種苗から“紫盃”という 固定品種が初めて販売 、1972年に個人育種家によって“くろひげ”が発表されました。切り花としての品質が向上したこのような種をはじめに、民間の育種会社や個人育種家によって白やピンクの新しい色をもつ品種、新品種が発表されるようになります。
1982年にはサカタのタネから初のF1品種、“峰シリーズ”が発売。均一な生産のしやすいF1品種への移行とともに、覆輪、八重咲き、黄色や緑色系、秋切り用の中・娩生品種、矮性品種などなど 幅広い花姿、性質の品種が瞬く間に生み出されました。
世界的に日陰者だった花に、たった数十年でここまでの発展があったと思うと、なんだか夢のある話ではありませんか?
いまや切花算出額4位(2018年)となり、すっかり欠かせない存在となったトルコ桔梗。日本で作られた品種は世界中で栽培されています。ここまで育て上げた土地である日本は「第二のふるさと」と言っても過言ではないかもしれません。
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