News新着情報

花の研究室

2021.05.21花の研究室

【ローズの日】バラの世界史①文明の始まりはバラ文化の始まり

6月2日はローズの日!「ローズの日」特設サイトはもうご覧いただきましたでしょうか?
こちらのHPには載らない情報もありますので、よろしければ時々ご来訪くださいね。

さて、今月の花の研究室では、バラを愛してはや10年・バラに憧れてお花の世界へ飛び込んだ著者がディープな花の世界史をご案内します!
それぞれの時代に咲くバラを想像しながらお楽しみください。

 今回のもくじ
1 バラと人の始まり~古代メソポタミア・ミノア文明
2 花の中の花、喜びの花~古代ギリシア
3 クレオパトラとバラ~帝政ローマ
4 一方そのころ~日本のバラ

バラと人の始まり~古代メソポタミア・ミノア文明

人類とバラの絆は文明の始まりとともに

最初に人とバラの絆が垣間見えるのは、最古の文明である古代メソポタミア文明の時代
エジプト、ファイユームにあるこの時代の墓地からバラの花束の遺物が発見されており、人々は古代メソポタミアの時代から手向け花としてバラを使っていたと考えられます。
紀元前3000年頃なので、日本だと縄文時代ですね。バラと人類の歴史は、私たちが教科書で一番最初に習うところからすでに始まっているのでした。

バラという種の誕生が約7,000万年前~約3,500万年前・墓地に草花を飾った最古の例が約1万2000年前の墓地と言われますから、証拠として残っていないだけで、もっと古くからバラを利用する文化はあったのかもしれません。

また、古代メソポタミアの王を主人公にした英雄譚「ギルガメッシュ叙事詩」に登場するバラ(の棘)の記述が、世界史に残されている中で最も古い「バラ」という言葉とされています。

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

スペースワールド(@spaceworld.jp)がシェアした投稿

(クノッソス宮殿)

バラの絵としては地中海に浮かぶクレタ島のクノッソス宮殿のフレスコ画に描かれたバラが最古という説が有力です。クノッソス宮殿といえば半身半獣のミノタウロス伝説ですね。

フレスコ画のバラはパッと見たところ葉が全て3枚ですし、本当にバラ?という感じもしますが、誤って修復されたことも加味して「これはバラ」ということになっています。これが正しいとすると、クレタ島で文明が栄えた紀元前2000年頃から人類はバラを絵に描いてきたということになるのです。

(日本ばら会:[世界最高レベルの「バラ論争」に決着]

バラは花の中の花、喜びの花~古代ギリシア

ギリシャ神話~アフロディーテとバラ

(ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』)

木馬の中に隠れて浮かれた敵をやっつけてやったわ!の「トロイの木馬」でおなじみ、古代ギリシアの叙事詩「イリアス」には、女神アフロディテが放置された遺体を憐れんでバラの香油を塗り、野犬から守ったという記述があります。
当時は精油を抽出する技術がありませんから、現在のアロマオイルやエッセンシャルオイルではなく、油に花の香りを移した香油のことでしょう。なんにせよ、こんな遥か昔から人々はバラの香りや薬効を活用していたのですね。

ギリシャ神話ではこのアフロディテが生まれる時にバラも一緒に生まれたといわれていて、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」にはロサ・アルバとおぼしき白いバラの花が描かれています。がくや子房の様子は確かにバラっぽいです。

美の女神アフロディテとバラにまつわるエピソードは他にも語り継がれています。
色々な神々と浮名を流していたアフロディテですが、軍神マルスとの逢引きを子のキューピッドが目撃してしまいます。
そこでキューピッドは慌てて沈黙の神ハポクラテスにこの秘密を漏らすことがないよう頼み込み、そのお礼として赤いバラを贈ったというものです。しっかりした息子ですね。
この神話から「バラの下」という言葉やバラ自体が「秘密にするように」という意味をもつようになり、ギリシャ人は秘密の会合をする時はバラを天井に飾って、「ここで話すことは口外しない」という暗黙の了解を表したといいます。

また別の有名なエピソードとしては、花の女神フローラと青いバラの伝説があります。
フローラが愛していたニンフ(精霊)が亡くなった時、嘆き悲しんだ彼女はニンフをバラに変え、花びらに様々な色を与えましたが、青は悲しみの色であるとして与えませんでした。
このために青いバラは存在しないのだといいます。実際バラには青の色素を作る仕組みがありませんから、偶然ながら不思議な一致ですね。

古代ギリシャ~偉人・哲人とバラ

(レンブラント・ファン・レイン『ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス』)

古代ギリシャといえば、ソクラテスやプラトンといった哲学者たちです。
ギリシャの「哲学者」は概念や内面世界を探求する哲学だけではなく、世界が何でできているか・何で動いているかという数学や自然科学も追及する学者でした。

アリストテレスは「生物学の父」とも呼ばれる哲学者の一人で、マケドニアの偉大な王アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の家庭教師を務めていました。
アレキサンダーは東方遠征で制圧したペルシアやエジプトの文化をギリシア世界へ持ち帰りましたが、こうしたお土産には現地の珍しい植物や動物も含まれており、家庭教師のアリストテレスに調査してもらったり、見解を求めたりしていたようです。

このとき征服した大国・ペルシアはバラの原産地であり、紀元前12世紀ごろからすでにバラを栽培していました。アレキサンダーは征服した国の文化を抑圧せず、むしろギリシャ文化との融合を進めていましたから、ペルシアのバラやバラの文化も同様にギリシャへと持ち込まれていたことでしょう。
前述の通りギリシャ神話にはすでにバラが登場するので、ヨーロッパの人々がバラに触れるのはこれが初めてのことではないと思われますが、バラをはじめとした植物の見識が広がったことは間違いがなさそうです。

なお、アリストテレスは著作でバラの性質を解説しつつも「花の美しさ」には特に触れていません。科学者らしいといえば科学者らしい姿勢でしょうか。

クレオパトラとバラ~帝政ローマ

(ローレンス・アルマ=タデマ『アントニーとクレオパトラ』当時18歳のクレオパトラに魅了されたアントニウス。クレオパトラが床にバラを敷き詰めてアントニウスやカエサルを迎え入れたのは有名なエピソードの一つです)

古代ローマの博物学者、プリニウス(AD23-79)は『博物誌』でバラについてさらに詳しく述べており、当時はバラのように香りのある花は名誉・栄光の証である花冠として使われることが多く、さらには頭痛や二日酔いを抑える薬草としての効果も期待して宴会でも着用されていたとのこと。
花の美しさにはほとんどノータッチだったギリシャの哲人に対し、作物としてだけでなく、観賞用の植栽方法や装飾としての美しさについても書かれています。
他の記録からも当時のローマ人が「バラの上で眠り、歩き、食事をした」といわれるほどのバラ好きで、湯水のようにバラを使っていたことが伺えます。うらやましい限りですね。

(ローレンス・アルマ・タデマ『ヘリオガバルスの薔薇』)

またプリニウスは「一番人気なのはこれ、次に人気なのは安価なこのバラ」などとバラの価格に触れており、バラの花が園芸作物であったこと・質がよく安価なバラを海外からも輸入していたことが分かります。この時代にはもうバラを生産し、販売し、輸出入していたのですね。

所説ありますが、当時の西洋バラはロサ・ガリカ、ロサ・アルバ、ロサ・ダマスセナ、ロサ・ピンピネリフォリアなどいずれも一季咲き。一つの産地だけでは新鮮な花を長く確保できなかったため、場所を変えて輸入を行っていたのでしょう。

おまけ:暴君はバラがお好き

バラ大好き古代ローマ人の皇帝の中でも暴君と名高い5代皇帝ネロ(37~68年)。
彼は「バラ狂い」と呼ばれるほどバラの花がお気に入りで、バラのお風呂に入り、バラの香油を塗り、お酒やデザートに加工までしてバラを豪奢に楽しんだと伝えられています。
(私もいつか権力を手に入れたらそんな生活がしてみたいところです。)

また実は、先ほども登場した絵画に描かれていたのは、ローマ帝国史上最悪最凶の皇帝と言われる第23代皇帝ヘリオガバルスの宴のようす。一見バラを使った華やかな接待に見えるのですが、ことの真相はこうです。
この皇帝は宴会の天井に張った幕に何トンものバラを仕込みました。そして宴会中に幕を切り、落としたバラで客人が窒息死するのを眺めていたのです。

(奥の人たちは楽しそうですが…絵の見方が変わりますね。)

どれだけの花が必要になるのか見当もつきませんが、当時の皇帝や貴族がバラに恐ろしいほどの熱量を持ち、大量に消費していたことが分かります。

一方そのころ~日本のバラ

万葉集に初登場~「うまら」

『道の辺の 荊(うまら)の末に 這ほ豆の からまる君を 別れか行かむ』

「道端の荊の先に這い、まきつく豆のようにまとわりついて別れを惜しむあなたと別れて行く。」
これは伴侶と別れて九州に向かう防人の歌ですが、ここでの「荊(うまら)」は日本に自生するバラの野生種ノイバラで、これが初めて日本史に登場するバラであるとされています。

ノイバラはスプレーバラの房咲き形質の源流といわれるほか、バラ苗の台木として使われたりローズヒップを採集したりと重要な野生種の一つです。現代でも普通に野山で見ることができますし、接ぎ木苗の根元からもよく生えてきますよ。

「バラ」が由来の都道府県

バラが名前の由来となっている都道府県をご存知でしょうか?
それはかつて常陸国(ひたちのくに)と呼ばれ、風土記には現在の名前に通じるお話があります。

エピソード①悪さをする山賊を滅ぼす計画の一環で、「茨(うばら)」で「城」を作った
エピソード②言うことを聞かない豪族の穴倉に「茨」をしかけてわざと追いやり、こらしめた

そう、茨城県のことですね。日本では桜の花ほどピックアップされないバラですが、このようにとげに注目した言い伝えは古来より伝わっています。

中国から日本へ

(ロサ・キネンシス)

存在感薄目だった日本に対し中国では古くからバラ栽培が盛んに行われており、孔子も「王宮にバラがあった」と述べています(出典元は忘れてしまいましたが…)
「月季花」「長春花」と呼ばれるロサ・キネンシスの仲間は、宋の時代に日本へ渡来したとされる中国原産のバラです。「月季花」「長春花」という名前は月ごと季節ごとに長く咲く、つまりは四季咲き性があることから。
こうしたアジア原産の四季咲きバラはやがてヨーロッパに渡り、一季咲きのオールドローズと掛け合わされてバラの歴史に革命を引き起こすことになります。 

次回は中世~

バラの歴史を知っていると、絵画一つ見るにしても面白さが増しますよね。
次回はバラを愛したマリーアントワネットやナポレオンの妃:ジョゼフィーヌ、華やかな「ベルサイユのばら」の時代をご案内します。お楽しみに!

営業企画部

引用・参考文献

日本園芸協会「ローズガーデン講座」テキスト
「ブルガリアンローズ―香り高きオールドローズの世界」-佐々木薫2005
「薔薇の象徴空間」-濱本 秀樹2020、http://id.nii.ac.jp/1391/00021115/
「薔薇の文化史(その一)—「花の中の花」」-中尾真理2009

「ローズの日」の記事はこちら

ローズの日バラの世界史③新しいバラの歴史

6月2日はローズの日! …は終わりました ...
続きを読む

【ローズの日】産地紹介動画②

『ローズの日』展示の様子をお届けします! ...
続きを読む

【ローズの日】産地紹介動画①

『ローズの日』展示の様子をお届けします! ...
続きを読む