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花の研究室
2021.03.30花の研究室
【さくらの年表】私たちはどうして川辺でお花見をするのか
先日、母校へ卒業生のお見送りに行って参りました。
ちょうど咲き始めた桜の木の下が人気の記念撮影スポットになっていて、袴やスーツを来た学生たちが学位を片手に写真を撮っています。
サークルの新入生歓迎会でもお花見パーティをしていたものだなあ、と心懐かしい気持ち。
日本人には小さい頃からなじみの深い桜ですが、このように特別な存在になったのはなぜ・いつからなのでしょう。
「そういえばなんで?」という疑問の答えと合わせてまとめてみました。
今回のもくじ
1 「お花見」はいつから始まったのか
2 さくら年表をつくりました
3 学校に桜が植えられているのはなぜ?
4 川辺にお花見スポットが多いのはなぜ?
5 「お花見ができる」ことは当たり前ではなかった
「お花見」はいつから始まったのか
平安貴族がお花見を始めた。庶民は?
(春の神泉苑)
お花見の記述として最も古いものは平安時代。
日本後紀に記された「花宴之節(かえんのせち)」であるといわれます。
「花宴之節」は812年に嵯峨天皇が催した京都の寺院「神泉苑」の桜を愛でる宴で、
これ以降桜のお花見が貴族の間に広まりました。
夜桜を楽しむようになったのもこの頃だそう。雅な歴史の始まり方ですよね。
それ以前にも中国の影響で「梅の花を愛でるお花見」はあったようですが、
日本独自の国風文化が開いたこの頃に桜のお花見へと置き換わりました。
古今和歌集でも、それ以前の歌集では梅 > 桜だった登場回数が逆転しているのです。
『ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ』
百人一首の中でも人気が高いこの歌も、古今和歌集に納められています。
(京都・哲学の道)
これらはあくまで貴族の歴史における「庭に植えた桜を鑑賞する」花見の記録であって、
庶民の間で花見がされていたか・どんな形だったかは定かではありません。
史実には残っていませんが、名もない民たちも山に咲く桜を愛でて楽しんだのでしょうか。
さくら年表を作りました
日本人の関心がもっとも高い花だけあって、桜の鑑賞と栽培の歴史には定説があるようなので
まとめて年表にしてみました。いかがでしょうか?
飛鳥~鎌倉時代 その辺の桜を取ってくる
万葉集で一番多く読まれた植物は萩。
飛鳥・奈良時代には、桜よりも梅・桃、萩を好んで鑑賞していました。
この頃は苗木から栽培して庭に植える…というよりも、山桜を観たり取ってくるという鑑賞の仕方だったようです。
(萩の花)
桜の鑑賞が始まった理由の一つとして、
『飛鳥・奈良に大きな都市が出来たことで建築用・燃料用の木材の需要が増え、周辺の照葉樹が伐採されて残った桜の木が目立つようになった』
という説があります。
といってもツツジなども桜と同じように林に残っており、
なぜ桜がピックアップされたのか?は謎のまま。
平安時代に入ると前述のとおり、庭に植えた桜のお花見が貴族の間で盛んになりました。
室町~江戸時代 ソメイヨシノ誕生・花より団子
室町時代になると桜の栽培や園芸業者にまつわる記録が増えます。
園芸ブームが起こった太平の江戸時代には庶民の間でもお花見が盛んになり、人々は解放された寺社や武家庭園で桜を楽しみました。今と変わりませんね。
「花より団子」という言葉がかるたに登場したのもこの頃です。
また江戸時代には最も有名な桜、ソメイヨシノが出現しました。
品種改良によって掛け合わされて生まれたという説が一般的ですが、遺伝の法則の知見がないこの時代、人工交配が行われていた可能性はほぼ0といわれています。
となると、昆虫による受粉→偶然できた新種の選抜の繰り返し という流れでしょうか?
完璧な美しさを誇るソメイヨシノは、職人さんの経験則と自然のいたずらによって生み出されたのですね。
明治~現代 シンボル的存在に
明治に入って武士が特権を奪われると、桜の名所であった武家庭園も荒廃。桜にとっては受難の時期となりました。
その後戦争が始まると日本人を象徴する花として奉られたり、戦後には復興の旗印として全国に苗木が植えられたりと、より特別な、シンボル的な存在になっていきます。
学校に桜が植えられているのはなぜ?
日本の学校に必ずと言っていいほど植わっている桜。これにはいくつかの所以があるようです。
(北海道大学の桜並木)
1.戦時中の「大和魂」教育のため
戦時中、日本の国花でもある桜の美しい散り姿は、国のために潔く散る兵士と重ねられました。
子ども達にもその「大和魂」の精神を学んでもらおうという意図で学校に桜が植えられたという説です。
2.学校樹歳活動が奨励されたため
「桜を植えなさい」とは書かれていませんが、明治時代に学校に木を植える活動を奨励する訓令が出ています。
行事の時にちょうど花が咲くということで、木の中でも桜が選ばれたのかもしれません。
3.日本花の会による苗木の無償配布がされたため
戦後の復興をめざして、1962年から「日本花の会」が桜の苗木の生産・配布を行いました。
この取り組みは現代まで続いており、全国各地の学校や街に桜が植えられ、多くの桜の名所が生まれています。
川辺にお花見スポットが多いのはなぜ?
(愛知・五条川)
愛知の五条川、東京の目黒川、京都の背割堤などなど、桜の名所は川沿いが多いですよね。
囲われた庭園ではなく、誰でもアクセスできる川沿いによく植えられているというのは、他の花木とは違う扱われ方ではないでしょうか。
これは実は、人を集めて土を踏み固め、川の決壊を防ごうというアイデアによるものなのです。
時は江戸時代。
治水のために作った堤防を頑丈に固めるためには、大変な人手と労力が必要になりました。
そこで、ある職人が「桜を植えれば見物人がたくさん来て、土を踏み固めてくれるだろう」と考えたのです。なんて粋なアイデアなんでしょう。
(岐阜・新境川)
桜の圧倒的な人気は客寄せにぴったりですし、
・春に一斉に咲いて散るので一度に多くの人を集められる
・梅雨前に咲くため、川が荒れる前に土を固められる
と花の咲き方・咲く季節もこの作戦におあつらえ向きでした。
加えて桜は非常に良く根を張る樹であるため、人の集まらない堤防でも土を抱えてくれる効果が見込めます。かくして川沿いに桜が植えられるようになったということです。
「お花見ができる」ことは当たり前ではなかった
桜には、貴族だけでなく誰でもお花見ができるようになった歴史があり、学校や川沿いでお花見を楽しめることにも理由があるのですね。
気軽に人ごみの中へ出かけられない昨今は、賑やかな桜並木は当たり前ではなかったのだなあ…と桜がいっそうありがたく懐かしく思えます。
今年は今年らしくおうちでお花見を楽しむのもいいですね。
ということで、オークションルーム後方では山形県の啓翁桜を展示中です。
水面にゆらゆら浮かぶお花と合わせて、ご覧になってくださいね。
営業企画部
https://doi.org/10.11519/jjsk.70.0_3