新着情報
花の研究室
2020.11.25花の研究室
アンデルセンはバラに何を見た?【デンパーク】
毎年恒例、デンパークの花マルシェに行ってきました!(2020年は11/21~11/23開催でした。)
愛知県のお花の販売や展示、即売会にワークショップなどなど、お花づくしの催しです。
加えてイベント中は入場料が無料なので、花好きには嬉しいですね。
温室内にはアレンジメントや植え込みに加えコンテストの応募作品の展示が並び、目を楽しませてくれました。
鉢物を出荷頂いている安城農林高等学校さん(紹介記事はこちら)の展示もありましたよ!
———————————————
さて、デンパークといえば、デンマークのテーマパーク。デンマークといえば、童話作家のアンデルセンですね。
実は先ほどの写真の中にも「人魚姫」の像がありました。お気づきでしたでしょうか?コペンハーゲンにある本物とそっくりです。
アンデルセン童話は
「裸の王様」「みにくいアヒルの子」、アナと雪の女王のモデルにもなった「雪の女王」「マッチ売りの少女」「親指姫」「赤い靴」…など私たち日本人も子どもの頃に一度はきいたことがあるようなものばかり。
同じ外国の童話では「イソップ物語」や「グリム童話」も思い浮かびますが、これらは日本の昔話とおなじで地域に伝わる伝承や物語をモデルにしていることが多く
対してアンデルセン童話は、そのほとんどが彼自身の空想によるオリジナル作品なのだそうです。
彼が遺した物語は約170作品。すごい想像力ですね。
アンデルセンの母は洗濯婦、父は靴職人、祖母は病院で庭仕事という働き者で貧しい家庭でした。
母は敬虔なキリスト教徒、父は幼い息子にアラビアン・ナイトの物語を語ってきかせたり人形劇の舞台を作ってあげたり、祖母が持ち帰った花でいつも居間が飾られていたりと、アンデルセンは家族を通して豊かな内面の世界を育てていたと思われます。
そんなアンデルセンが最初に発表した童話集の中に、「イーダの小さな花」というお話がありました。
というあらすじで
・ヒナギク・スズラン・バラ・ケイトウ・スミレ
・チューリップ・ユリ・スイセン・カーネーション
・ヒヤシンス・サフラン・ストック・ケシ・シャクヤク
・フウリンソウ・マツユキソウ・サクラソウ etc…
と実に沢山の花が登場します。花が好きなお祖母さんの影響でしょうか?
彼自身は豪華な花よりは素朴な草花を好み、森でプレゼントの花を摘んだり、タンポポの綿毛だけを集めて花束にしたりと可愛らしいセンスの持ち主だったようです。
また、花の中でもバラにはどうやら特別なものを感じていたようで…
アンデルセンとバラ
アンデルセンの作品中のバラについて考察した論文*1によると、163作品が含まれる『アンデルセン童話全集』の中で実に約3分の1の作品に何らかの形でバラが登場しています。
アンデルセンが生まれたのは1805年、モダンローズが誕生したのは1867年なので彼がイメージするバラはおそらくオールドローズ。
現代の切り花バラのようにきっちり整った剣弁高芯というよりは、しなやかで優しい雰囲気の花だったのではないでしょうか。
また、バラがメインや重要な役割になっている作品は1838年の「野の白鳥」~1852年の「世界一の美しいバラの花」の間に多く見られます。
そしてこれらの作品が生まれた時期と、彼自身の人生を重ねてみると・・・
…と、バラが多く登場する時期とアンデルセンの女性への想いにはどうやら関連がありそうです。
加えて、
・天使が抱えていたり美しさのたとえにされたりとポジティブなイメージで扱われる
・作中にバラのとげは出てこない
といったことからも、バラに美しく優しいイメージをもっていたのではないかな?と想像できます。もしかすると、女性へのあこがれや理想、神秘さ、美しさをバラに重ねていたのかもしれませんね。
アンデルセンは外見へのコンプレックスに加え、ラブレター替わりに自身の人生ストーリーを書き連ねた自伝を贈ってしまう癖?のためか恋愛はうまくいかなかったようで、生涯独身で過ごしたとのことです。
——————————————————–
70歳でこの世を去った彼の葬式には、デンマーク王太子から浮浪者まであらゆるファンが別れを惜しんで詰めかけたといいます。
好きな人と結ばれることはなくとも、友人やファンに愛され日本を含めた世界中の人々に童話が読まれることになった結末は、きっとハッピーエンドだったのでしょう。
彼はデンマークのコペンハーゲン、アシステンス墓地で眠っています。もしいつか訪問して花を手向けることがあったなら、バラの花をお供えしたいな…などと思うのでした。
営業企画部
参考文献:
*1 バラ・そのイメージと象徴(1)ーアンデルセンの作品についてー
*2 花と人のダンス